LOGINお昼頃。僕は律の墓前にいた。
「律、お前暑いの苦手だったよな」
焦げさせるかのように射してくる真夏の日差しを浴びながら、小さく呟いた。蝉の鳴き声がやたらと煩く感じながら。そして思い出す。律と過ごした夏のできごとを。つまりは思い出を。失いたくない、たくさんの大切な宝物を。
「――また、一緒に海に行きたいな」
持ってきた菊の花束をそっと添え、墓前で両手を合わせた。そして、ゆっくりと目を瞑る。
『あの日』の出来事を甦らせながら。
嫌な予感はしていた。
僕がイジメのターゲットにされてから、呼び出されるのはいつも体育倉庫だった。そこで小林と三井の二人からサンドバッグよろしく殴り続けられてきた。 その間、黒羽はというと、苦痛で顔を歪ませる僕を見てはニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら悦に入る。
それが、日常だった。
が、しかし。あの日に限っては僕だけではなく、律も一緒に連れて行かれたのだ。
『ギャラリー』と称して。
二人に殴られている僕を見て、律は嗚咽を漏らしながら涙を流し、何度も何度も大声で叫んでいた。『もうやめて!!』、と。
律も驚いたことだろう。心配をかけないよう、イジメの件は詳しく言わないでおいていたから。だからこその涙だったのだろう。目の前で、日々恋人が殴られ続けていたことを知ってしまったのだから。そりゃ泣きたくもなるはずだ。
僕はあの日の律と黒羽が交わした会話を思い出す。
『お願い!! イジメなんてくだらないことはもうやめてあげて!! 神くん死んじゃうよ!!』
『イジメる? 何言ってんのよ、このクズが。ちょっと可愛いからって調子に乗ってんじゃないわよ。私はわざわざアンタに見せてあげてるのよ? このショーを。目の前で。特等席で。嬉しく思いなさいよ』
『何がショーよ! 黒羽、アンタ人間じゃないわ! 自分は一切手を出さないで苦しむ神くんを見て楽しそうにして。何が面白いって言うのよ! 父親が誰だとかどんな人なのか、そんなこと知ったこっちゃないわよ! 神くんを殴るなら、代わりに私を殴りなさいよ!』
律のその言葉を聞いて、黒羽は表情を一変させた。
もしかしたら、最初は律のことを本当の意味で『ギャリー』としか見ていなかったのかもしれない。
だが、恐らく黒羽はこの時に予定を変えたのだろう。律を殺して僕が苦しむ顔を見ようと。そして、自分をバカにした律を殺そうと。
『ふーん、そう。私ってね、今のコイツみたいに苦しそうに歪めた顔を見るのが大好きなの。だからもう少し時間をかけてあげようと思ってたけど、気が変わっちゃった』『な、何がよ……』
『まだ見たことがなかったのよねえ。自分が一番大切にしているものを失った時の人の顔を見るの。ねえ、糸賀律のことが大好きな因果崎くん』
あの時の黒羽の笑みは一生忘れることはないだろう。不穏で、不気味で、気味の悪い笑みを。
そして、待っていた結末は夢に見た通りだ。
やり返したかった。復讐したかった。実際に、僕はまずボクシング部に所属している三井のことを学園長に話した。部に所属している上にボクシング部だ。リング外で暴力を振るうだなんて言語道断なのだから。
内心、期待していた。
これで何かしらの罰を受けるはずだと考えていたから。停学も、もしくは退学もあり得るのではないかと。
だが、何も変わらなかった。恐らく黒羽の父親が揉み消したんだろう。僕が住むこの田舎の地主であり政治的にも強い権力を持ったアイツの父親が動けば、まずなかったことになる。
だから何もやり返すことができなかった。それに、仮に黒羽に対して僕が何かしらの仕返しをしたとしよう。そうなれば、黒羽は僕だけではなく僕の家族全員を消そうとするだろう。それだけは避けなければならなかった。
「ごめん、律。本当にごめん……。情けないよな。呆れてるよな。こんな薄情な彼氏なんていらないと思ってるよな」
唇を噛み締める。悔しくて、堰を切ったように涙が流れて止まらない。
後悔の念が僕を支配する。あの時に律を一緒に連れて行かなければこんなことにはなっていなかったはずだと。
と、思っていたら――
「また泣いてる。神くんってほんと泣き虫だよね」
我が耳を疑った。
優しくて、柔らかくて、そして、温かい口調。誰の声なのかすぐに分かった。
「律……?」
声が聞こえた方へ振り向くと、制服姿の律が笑顔で僕の背後に立っていた。
「久し振り、神くん。元気してた? って、そんなわけないよね」
「な、なんで律が!?」
頭の中が一度真っ白になり、それからすぐに糸のようなものがこんがらがって上手く思考ができなくなってしまった。
現実感が、湧かない。
「ちょっと神くん。何ボーッとしてんのよ。神くんが愛するこの糸賀律さんと会えたっていうのに」
「い、いや、ちょっと待って! もしかして律、生きてたのか!?」
「そんなわけないじゃん。死んでるよ? 神くんが一番よく知ってるじゃん。私が即死だったの。というかさ。久し振りって言ったんだから、神くんも返事してよ」「返事してよって……簡単に言うなよ! 今の状況でできるわけないだろ!」「あんまり大きな声出さない方がいいよ? 神くんには見えてるけど、他の人には私の姿は見えてないから。大声で独り言を言ってる危ない人だと思われちゃうよ?」 咄嗟にぐるりを見渡す。確かに他の人達が、僕を奇異な目で見ていた。
でも、何故?
「何故って言われてもなあ。実は私もよく分かってないんだよね。一周忌だからな? それか、確か神くんの家系って霊感が強いんじゃなかったっけ?」
「ま、まあそうだけど。爺ちゃんも神社の神主だし。でも、だからって……」
「うーん、まあいいじゃん。こうして神くんに見える形で出てくることができたわけだし。それにほら、こうやって触れたりもするよ」
ポンッと、律は僕の肩に手を置いた。確かに感触がある。あの優しくも柔らかい体温を感じることは全くできなかったけれど。
「ということは。もしかして僕も律に触ることができるの?」
「どうなんだろうね? ちょっと分からないや。試してみたらどうかな?」
「そ、そうだね。それじゃ、ちょっと失礼して――」
僕は先程の律よろしく、彼女の肩に手を置いた。触れる。
「なるほど。神くんも私に触ることができるんだ。だったら私が考えてた以上に色々やりようがあるかも」
「やりようって、おま――」
その刹那。頭の中に『声』が急に流れ込んできた。誰か他の人が話しかけてきたのかと思い周囲を見渡す。数人から見られてはいるが、直接話しかけられてはいない。
だが――
『さっきからあの人ずっと独り言呟いてる』
『危ない人なのかな?』 『うーん、声をかけた方がいいのだろうか。分からん』なんだ? なんなんだこの声は。誰の声だ? どうして聴こえる? どうして頭に響いてくる? どうして心のどこかに声の残滓が残るんだ?
「どうしたの神くん? ボケーッとしちゃって」
「――いや、なんでもない」
疑問を覚えざるを得なかった。しかし、どうせ幻聴か何かだろうと自分に言い聞かせた。
無理やりに。
「そっか。それじゃあ本題に入ろうか」
「本題?」
「そう。私さ、ずっと見てたんだよ? 神くんのこと」
「僕のことを……」
「うん。やっぱり心配だったから。それにアイツがちゃんと私との約束を守るのかも気になってたし。でもイジメ、まだ続いてるじゃん? 右の頬も三井に殴られて腫れちゃってるし」
律の言う通りだった。
律の死は自殺として処理された。そして、その後も僕へのイジメは続いている。元々、黒羽は約束を守る気なんて最初から毛頭なかったんだろう。
律は険しい顔をして僕の目を見つめる。
彼女の目から感じる。怨み。遺恨。悔しさ。悲しさ。
そして、強い殺意を。
それらの感情をストレートに出し、律は僕に言葉にして伝えた。
赤い色を含んだ声音で。「神くん。これから私達で、あの三人に復讐するよ」
【続く】
階段を上り、屋上までやってくると、黄金に染まった夜と夕刻の中間の空が視界いっぱいに広がった。 真夏は日が暮れるのが遅いけれど、しかし、すでに太陽は沈みかけていた。それだけ長い間、僕と律は体育倉庫で話し込んでいたということだ。 時間を忘れる程に。「なんだか懐かしいね」「――そうだね」 律にそう言葉をかけられたが、上手い返しが見つからなかった。 複雑な気分だ。 自分が死んだ場所を見た人間は、一体どのような感情を覚えるのだろうか。 そして、律は今、何を覚え、何を思い、何を考えているのだろう。どのような『色』を見ているのだろう。 僕は、それが知りたかった。「――ねえ、神くん覚えてる? 私がここから飛び降りた時のこと」 少しの静寂を破るかのようにして、律は訊く。忘れるわけがない。あの時のことの全てを、僕は頭の脳裏に焼き付けている。心に刻み込んでいる。胸の中に仕舞い込んでいる。 哀切。悲しみ。孤独感。この一年間、様々な感情が僕の思考の全てを支配してきた。だからこそ、上手く言語化できないのだ。「よいしょっと」 そんなことを考えている内に、律は以前よりも高い、屋上に取り付けられたまだ新しいフェンスをよじ登った。 何故にフェンスを高くしたのか。理由は言わずもがな。「――あの時ね、私、鳥になろうと思ったの」「鳥に……?」 背を向けているのでどんな表情をしてあるのかは分からない。だが、そんなことお構いなしという感じで、律は言葉を紡ぎ続けた。「私がここから飛び降りる時にさ、両手を広げてたの覚えてるかな? あの時にね、私強く思ったの。願ったの。鳥になりたいって。空を自由に飛んでみたかったんだ。それで、せっかく死ぬんだから神様も最後くらい願いを叶えてくれるんじゃないかなって」 ――それに、と。律は紡ぎ続ける。「それにさ。もし鳥になれたら、神くんのことを見守ることができるんじゃないかなって思って。ずっと、近くで。そしたらね、気が付いたらなってたんだ。鳥に。神くん気付いてくれてたかな?」 合点がいった。あの時、確かに律は飛び降りる直前まで両手を広げていた。その時はただポーズを取っているだけだと、そう思っていた。 しかし、その次の日からやけに視線を感じていた。最初は黒羽の一味だと思ったが、違った。それに、ぐるりを見渡しても誰もいなかったことを覚えてい
塵埃まみれの小さな空間――体育倉庫の中に、僕と律はそこにいた。黴臭さと埃っぽさを混ぜ合わしたような不快極まる匂いを鼻腔で感じながら。「じゃあ神くん。そろそろ始めようか?」「……そうだね」 一体、これから何を始めるのかというと、会議だ。議題は言わずもがな。三人に対する復讐について。 だけど――「神くんどうしたの? なんかボーッとしてるけど」 体操部が使用するマットの上に腰かけながら、律は声を発した。「……いや、ちょっとね。なんか現実感がなくてさ」 嘘ではなかった。 一生、僕は二度と、柔らかで優しい声音を聞くことも、言葉を交わすことも、姿を見ることも、触れることも。それら全てを失ってしまった。絶望していた。 だけど、どういう形であれ、死んでしまった恋人と再会できたのだから。現実感が湧かないのは至極当然だ。 が、しかし。実際は少し違った。僕が今、一番深く考えていたのは『復讐』についてだ。『人を呪わば穴二つ』と言われているように、復讐をすることで、それらは必ず返ってくる。降りかかってくる。そういうものだ。だからこそ、こればかりは深く考えざるを得なかった。 でも、復讐はする。いや、しなければならない。逃げてはいけない。でなければ、律の恋人として失格だ。 それだけは、確かだった。 復讐であり、これは仇討ちでもあるのだから。「――なあ、律。復讐ってどうやってするんだ? さっき『やりようがある』って言ってたじゃん?」「うーん、それについては案はあるんだけど、順番をどうしたらいいのかなって。黒羽を最後にすることまでは決めてるんだけど」「最後に!? ちょ、ちょっと待って律!? それだとまた黒羽が、全てを揉み消すに決まってるだろ!? だから順番的には
お昼頃。僕は律の墓前にいた。「律、お前暑いの苦手だったよな」 焦げさせるかのように射してくる真夏の日差しを浴びながら、小さく呟いた。蝉の鳴き声がやたらと煩く感じながら。そして思い出す。律と過ごした夏のできごとを。つまりは思い出を。失いたくない、たくさんの大切な宝物を。「――また、一緒に海に行きたいな」 持ってきた菊の花束をそっと添え、墓前で両手を合わせた。そして、ゆっくりと目を瞑る。『あの日』の出来事を甦らせながら。 嫌な予感はしていた。 僕がイジメのターゲットにされてから、呼び出されるのはいつも体育倉庫だった。そこで小林と三井の二人からサンドバッグよろしく殴り続けられてきた。 その間、黒羽はというと、苦痛で顔を歪ませる僕を見てはニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら悦に入る。 それが、日常だった。 が、しかし。あの日に限っては僕だけではなく、律も一緒に連れて行かれたのだ。『ギャラリー』と称して。 二人に殴られている僕を見て、律は嗚咽を漏らしながら涙を流し、何度も何度も大声で叫んでいた。『もうやめて!!』、と。 律も驚いたことだろう。心配をかけないよう、イジメの件は詳しく言わないでおいていたから。だからこその涙だったのだろう。目の前で、日々恋人が殴られ続けていたことを知ってしまったのだから。そりゃ泣きたくもなるはずだ。 僕はあの日の律と黒羽が交わした会話を思い出す。『お願い!! イジメなんてくだらないことはもうやめてあげて!! 神くん死んじゃうよ!!』『イジメる? 何言ってんのよ、このクズが。ちょっと可愛いからって調子に乗ってんじゃないわよ。私はわざわざアンタに見せてあげてるのよ? このショーを。目の前で。特等席で。嬉しく思いなさいよ』『何がショーよ! 黒羽、アンタ人間じゃないわ! 自分は一切手を出さないで苦しむ神くんを見て楽しそうにして。何が面白いって言うのよ! 父親が誰だとかどんな人なのか、そんなこと知ったこっちゃないわよ! 神くんを殴るなら、代わりに私を殴りなさいよ!』 律のその言葉を聞いて、黒羽は表情を一変させた。 もしかしたら、最初は律のことを本当の意味で『ギャリー』としか見ていなかったのかもしれない。 だが、恐らく黒羽はこの時に予定を変えたのだろう。律を殺して僕が苦しむ顔を見ようと。そして、自分をバカにした律
「黒羽、お前それは……」「そうだよ。さすがにちょっとやりすぎだって……」 夕焼け空が広がる放課後の学校の屋上で、黄金色に染められた男子二人が一人の女子に対して口にした。隠し切れない戸惑いと、そして、これから目にするであろう悍ましい光景を想像しながら。「は? 何それ。やりすぎ? 別にどうってことないじゃない。それに、私は何もしてないし」「何もって、お前……さすがに」「さすがに、何? コイツが勝手に死ぬって言ってるだけじゃない。自分の意思で勝手にね」「勝手にって……」 ニヤケ顔の女子――黒羽霧は長い黒髪をさらりと手で流しながら飄々と言い放った。 僕――因果崎神と糸賀律は、そんな黒羽を見て背筋をゾッとさせた。コイツが今から律にさせようとしていることが本気であると確信したから。 僕達だけではない。小林と三井も同様だ。いつもは黒羽のマリオネットような二人だが、しかし、今はまるで違って見えた。 徐々に体温を失っていき、そのまま氷のように冷たくなるのではと錯覚してしまいそうになる程に怯えて見える。l「ねえ、どう? 因果崎? 大切な恋人がこれから目の前で死ぬところを見られる気分は」 まるで用意された台本をただただ読み上げるかのようにして、黒羽は言葉にたった一ミリも、塵程度も、黒か白かも判別できない燻み切った色を含んだ声音で訊いてきた。 何を言っているんだと思った。どうだって? ふざけるな。律は僕にとって大切な恋人だ。それをお前はこれから殺そうとしているんだ。答える気になれるはずもないだろうが。「大丈夫だよ、神くん。ねえ黒羽。私が死ねば二度と神くんのことをイジメないんだよね? 苦しい思いをさせたりしないんだよね?」 黒羽に再度確認した律の足元には、つい先程、無理やり書かされた遺書と脱いだ革靴が丁寧に揃えられて置かれていた。「バカ言うな律! コイツの言うことを本気にするな! 頼むから……頼むからそれだけはやめてくれ!!」 ゆっくりと、律は頭を振った。 僕の瞳の奥にある『何か』を確かめるようにして見つめながら。「いいの。神くんのためなら何だってできるから。だって私、神くんの彼女だもん」「だったら僕の言うことを聞いてくれよ! 何だってできるんだろ! それに、お前が死んだ







